ゼミ・研究

多文化環境で"好き"が見つかるまで

APU生
ポート
フォリオ

国際情勢への関心を変わらない軸に据え、 安全保障における核抑止の限界を問う。

PROFILE

髙村凜 さん

アジア太平洋学部(APS) 卒業

神奈川県出身

※2026年1月取材

ポーランドへの交換留学で身をもって感じ取った戦争と侵略の現地の記憶。
卒業論文で悩んだテーマも、大学でのあらゆる気づきと視野の広がりが後押し。

JOURNEY

"好き"が見つかるまでの道のり

  • 幼少時代 7歳から4年間、母に付いてアメリカへ
  • 中高時代 世界そのものに強い興味
  • 大学1年 授業で衝撃「平和・ヒューマニティ・民主主義」
  • 大学3年 ポーランド、ワルシャワ大学へ交換留学
  • 帰国後 淵ノ上教授のゼミへ
  • 大学4年 核抑止の概念を中心に安全保障について研究

どんな高校生でしたか。

とにかく好奇心旺盛で、世界そのものに強い興味を持っていました。高校はそれぞれの特性や目指す大学に合わせてコースが用意されており、私は英語力の向上と国際理解を深める国際語科でした。尊敬する母が修士号を取るため7歳から4年間一緒にアメリカに住み、高校では3カ月間カナダでの語学留学を経験しました。

APUに入学した理由を教えてください。

高校の先輩も進学していて素敵な大学だというのは知っていました。大学受験が上手くいかず悩んでいた頃、高校の先生がAPUを勧めてくださり、私にもまだチャンスがあったと気づきました。私は何かを作る仕事やビジネスよりも、その活動基盤や社会制度を整えるための学問をしたくてAPSを選びました。

高校と大学では"学び"がどう違うと感じましたか。

それはもう全ての分野で自分の想像を超えてきました。世界を身近に感じ視野が大きく広がったのはもちろん、英語ひとつにしても日常的なレベルで政治や宗教の話から専門的な議論までしていくので、アカデミックな英語力がとても鍛えられました。

入学後、一番印象的な授業は何でしたか。

1回生の共通教養科目だった淵ノ上英樹教授の「平和・ヒューマニティ・民主主義」です。この授業で衝撃を受けた書物が、自らの強制収容所体験を綴ったヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」、特攻隊員だった上原良司さんの遺書です。戦争がその国の社会や国民の心理に与える影響というものに触れたことが問題意識を抱くきっかけとなり、学びの根幹となって卒論を書くベースになりました。

大学在学中に新たな成長を感じた経験は?

3回生の秋から1年間、ポーランドへ交換留学した経験は大きかったです。二度消滅した侵略の歴史がある国で、戦争が及ぼす影響を肌で感じ、ワルシャワ大学でヨーロッパの国際関係学を学びました。あとはアウシュビッツに行き、教科書では得られない人の思いやそこで実際に伝わってくる多くのものを感じました。この留学経験は進路と卒論に大変生かされています。

卒業論文はどのような内容で書かれましたか。

淵ノ上教授のゼミに入り、核抑止の概念を中心に安全保障について研究を深めました。何事も考え過ぎてしまう性格から、卒論のテーマ決めは本当に難しかったですが、いろいろな文献を読んでいくうちに定まっていった感じです。私自身がリアリストな一面もあり、その観点に着目して磨きたいと考え、最終的に「インドとパキスタンにおける核抑止の限界とは何か」をテーマに国際安全保障について考察しました。

4年間を振り返ってみていかがでしょうか。

勉強や知識はいろいろな人と話し、つながるためのツールになると身をもって感じました。相手の国の背景や歴史を知っていれば会話が深まりますし、対話そのものが語学をはじめとする学びへのモチベーションになりました。学業を軸にしつつ、「GASS」という学生団体で、オープンキャンパスに来てくれた高校生の個別相談を担当したのも私にとっては欠かせない活動でした。多くの先生と友達に恵まれ幸せな学生生活でした。

卒業後の進路と今後の目標は?

ヨーロッパの大学院に進学します。引き続き国際安全保障と核抑止について追究するとともに、地域を中国とインドに広げ、異なった地域で核抑止がどのように作用しているかを研究したいと思っています。将来はまだどうなるか分かりませんが、「人」が好きなので教える職種に就くことも視野に入れています。

最後にメッセージをお願いします。

高校生はいろいろと考えてしまう多感な時期ですが、まずは「ありのままの自分」でいてほしいと思います。悩みや苦しみは成長できるチャンスにもなります。人の目を気にしすぎず周りと比べず、自分の中での大切なものをしっかり持って、それを認めてくれる環境や先生に出会い、大学では純粋に楽しいと思えることを学んでいってくださいね。

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